東京高等裁判所 昭和25年(う)2980号 判決
本件控訴の趣意は、前橋地方検察庁検事田場川広記作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであるからここにこれを引用する。よつて案ずるに期待可能性ということは所論のごとく規範的責任論を唱える学者によつて責任能力及び責任条件たる故意又は過失の外に第三の責任要素として拳げられ或は故意過失の観念の中に包含せしめて説かれ、或は又これを責任阻却原因として論ぜられているものであるが、この期待可能性の思想は漸次判例においても採り上げられ、期待不可能性を責任阻却事由とする見解を示している。(大審院昭和十一年(れ)第一二〇八号同年十一月二十一日第三刑事部判決及び東京高等裁判所昭和二十三年(わ)第二一五号同年十一月十三日第十二刑事部判決参照)のであつて、違法性の有無と期待可能性の有無とは自ら別個の問題に属し、原判決認定のごとく被告人らの本件行為が仮りに期待可能性のない行為であるとしても、それがためにこれを違法性のない行為とみることはできないのである。しかして、本件において原判決が期待可能性のない場合として認めた事情は、(一)、被告人設楽は居村采女村農業協同組合長、被告人細谷は同組合専務理事として各在任中昭和二十四年三月中旬頃群馬県食糧事務所伊勢崎支所から采女村農業協同組合において保管中の政府所有米の現品調査に赴く旨の通知を受けて帳簿と現物との比較調査をしたところ政府管理米中二十二俵の不足のあることを発見したので、これを右食糧事務所伊勢崎支所の係官福島一雄に報告したところ暗に現物を以て補填するよう指示せられたこと、(二) 農業会当時既に昭和二十一年十月十八日附群馬県農業会長から町村農業会長宛の政府所有貨物盜難被害処理については一応保管責任者において現物賠償による解決を原則とする云々と指示されており、食糧事務所としても現物で補填させる方針であつたこと等の事実であるが、斯様な場合一般人の常識として政府管理米の現物補填を第一義的に考えるとしても、他に適法行為が期待される可能性がある場合即ち他に取るべき方法がある場合には先ずこれによるべく、直ちに本件行為に出でることは許されないものといわなければならない。即ち論旨のごとく食糧管理法施行規則第二十一条但書の規定に従い県知事の許可を受けて合法的に取引する途もあり、又所管事務当局に具申して善処すべき方法もない訳ではなかつたのみならず、原審公判廷における証人古沢辰雄、同新井長太郞、同細谷寛吾、同細谷佐左衞門、同高木一郞、同須永彦市、及び同吹上順蔵らはいずれも被告人細谷又は右協同組合の宮崎経済課長、被告人設楽、同組合書記生形文夫らからそれぞれ組合の政府保管米が不足しているから組合のため協力してくれとの要請に基ずき組合のため快く本件玄米を提供したものであつて、当初はもとより売却するものとは考えておらず、したがつて代金などのことは考えてもいなかつたと各供述しておるのであり、又証人加藤平三郞、同大橋菊五郞も、それぞれ大橋菊五郞又は前記生形文夫から組合のため協力してくれと頼まれ本件玄米を組合のため提供したものであつて、全然無償ではないとは思つていたが、代金のことは考えていなかつたと述べているのであるから、必ずしも被告人らにおいて同人らから本件玄米を買受ける必要はなく、或は一時これを借り受けておいて後日同種のものを返還することとしても異議が無かつた筈であり、又後日盜難等の事実が判明した場合には特に被告人らに過失が認められない限り、組合員全体の損害として各自にこれを分担して貰うことも必ずしも困難ではないことが窺われるのであるから、少くとも本件食糧管理法施行令第六条違反の行為は避け得たものといわなければならない。
されば被告人らに他によるべき方法があり適法行為を期待し得る可能性があつたと考えられるのにかかわらず、被告人らの行為を期待可能性のない行為と認め、被告人らに対し無罪の言渡をした原判決にはその理由に尽さないものがあるか或は法令の解釈適用を誤つた違法があるものといわなければならない。しかして此の違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、結局論旨は理由があり、原判決は破棄を免がれない。